董建荣内蒙古大学外国语学院
董素娥浙江树人大学语言学院
【摘要】外来語は文字どおりの意味を言えば,外国から来た言葉のことである。その表記文字として日本語では,カタカナや英文字がよく用いられるが,しかし,現代日本語の中では,そのような表記をしたカタカナ語や英文字の中に外国から来た言葉ではないものが数多く存在している.外国から来た言葉であっても,音韻や意味,用法における原語とのズレがかなり大きいので,どれが本当の外来語で,どれが外来語ではないかを判断するのがしごく難しい。そのために,筆者は最新の研究成果を踏まえて,長年日本人の発音の特徴と外来語を表記する仕方などを研究し,その成果をまとめたのが本論である。
【关键词】外来語カタカナ語和製英語混種語借用語
【中图分类号】H36【文献标识码】A【文章编号】1674-4810(2010)01-0016-04
一はじめに
外来語を言えば,カタカナ語を思い出す。いわゆる外来語とは,文字どおりの意味を言えば,外国から来た言葉のことである。その表記文字として日本語では,カタカナや英文字(ローマ字やアルファベットと言う人もいるが,本論では英文字と呼ぶことにする。以下も同じ)がよく用いられるが,しかし,現代日本語の中では,そのような表記をしたカタカナ語や英文字の中に外国から来た言葉ではないものが数多く存在するのにはちょっと不思議である.
例えば,ソニー(SONY)やシャープ(SHARP)は日本有名な電気メーカで,全世界でどこに行っても知らない人はいないだろう。しかし,「ソニー(SONY)やシャープ(SHARP)は外来語ですか」と聞くと,私たち中国人のような外国人にとってはもちろんだが,おそらくほとんどの日本人も答えられないだろう.また,日本の町をあちこち歩いて回ると,KBC(鳥取にある電池工場の名称),EAC(鳥取にある分析会社の名称),RGK(鳥取にあるリコーグループ.ソフト開発会社の名称),RSK(秋田,北見,鹿児島にあるリコーのソフト関連会社の名称),RME(リコーグループのソフト関連会社の名称),RST(リコーグループのソフト関連会社の名称)などのように,カタカナや英文字で書いているものが実に数多く存在している.
最初,日本に行ったばかりのころは,このようなカタカナ語や英文字を見て,たぶん外来語だろうと思ったのだが,意味が分からなくて,日本人の友達に聞いたら,.さあ,分かりませんね,もしかするとある会社の名前かもしれない。.と答えたが,.外来語ですか。.とまた聞くと,答えはやはり.さあ,分かりませんね。.であった.こんな疑問を持ち続けて二年が過ぎた2004年の春,いよいよ帰国にあたり,幸い運よく上記のRGKでアルバイトをすることができ,やっとこの謎を解くことができた.次にRGKを例にして,日本語の中の“外来語”の正体について少し触れてみたい。
二外来語の正体
RGKは外来語ではなく,鳥取にあるリコーグループ.ソフト開発会社の名称である。「リコー」自体も実は外来語ではなく,もともとの名称は.理研感光紙(株).で,1936年ごろに設立し,同年,その名称を.理研光学工業.と改称して,1963年ごろからさらにその名称を略して.理光.と呼ぶようになった.最初はその名称も略称も漢字で書いていたが,1960年代ごろから,カタカナや英文字が流行り出したので,.理光.もその潮流に順応して,.リコー.というカタカナで書いたり,また“Ricoh”という英文字で書かれたりするようになった.その関連会社であるRGK(リコー鳥取技術開発株式会社)の略称も英文からではなく,日本語の発音をローマ字で書いて,“Ricoh”の中から“R”を,“Gijutsu”の中から“G”を,“Kaihatsu”の中から“K”を選び出して,“RGK”という言葉を作り出したという.
上記の説明からも,もうすでにお分かりになったと思うが,即ち1960年代までは漢語や漢字で書くのが普通だったが,60年代以後になると,カタカナや英文字がさかんに使われ,特に大手会社の名称や商品名,店の看板などがカタカナで書かれたり,英文字に書き換えられたりして今日に至ったわけである。もちろん,略称の中には英語からのものもあれば,そうでないものもかなり数多く存在する。その多くは日本語の発音をそのままローマ字に書き換え,その中から頭文字だけを取り出して組み合わせたものが結構多いようだ。
このように,カタカナや英文字で書いているのがすべて外来語であるというわけではなく,その中には,①日本語そのものをカタカナや英文字に書き換えたもの(例えば,「刺身」→「サシミ」→「sashimi」,「寿司」→「スシ」→「sushi」);②ある会社の名称や商品名をカタカナや英文字に書き換えたもの(例えば,「豊田」→「トヨタ」→「TOYOTA」,「理光」→「リコー」→「Ricoh」);③中国語及びその他の外国語を借用語としてそのままカタカナに直したもの(例えば中国語の「辣油」→「ラー油」→「ラーユ」,「棒棒鶏」→「バンバンジー」,「麻婆豆腐」→「マーボー豆腐」→「マーボードーフ」,韓国語の「キムチ」など)のようなものもあれば,④.マイホーム社(不動産屋),ベニヤ板,胃カメラ,朝シャン族.などのような英語と日本語を組み合わせた混種語もあり,もちろん,⑤「OL」や「カラオケ」,「アニメ」,「パソコン」のような日本人が作った和製英語やカタカナ語もある。
上記のような英文字や「カタカナ語は英語?日本語?」と質問する日本人①もいれば,「カタカナ言葉は難しい」と嘆く日本人もいる。②上記のような言葉はいったい外来語と見るべきか,それとも日本語と見るべきか,どのような辞書に収めればよいのかと,いろんな問題が相次いで出てくる。そこで,最近日本では上記のような問題を回避するために,『カタカナ語の正体』(小林忠夫,1997),『カタカナ.略語辞典』(旺文社,2000),『カタカナ語新辞典』(学研,2004),『カタカナ語辞典』(三省堂,2005)などのように,外来語の代わりにカタカナ語を使う曖昧な辞典がたくさん出版されたのである。
三外来語の出自と歴史
日本文化が外来文化に触発された時期が大きく二つに分けられる.一つは16世紀以前のことで,主に中国やインドなどからの大陸文化による触発で,もう一つは16世紀以後のことで,主にヨーロッパ諸国による触発であった。外来語の90%を占めると言われる英語の進入は明治(1868~1911)以後のことで,特に戦後の進入が激しかった.
16世紀以前の外来語は,主としてアジア諸国から来たもので,その中心は漢語であった.そのほかにまだアイヌ語,朝鮮語,梵語などによるものもある.漢語は伝来当初の意識としては,外来の語であったが,現在では和語と紛らわしいものもあり,日本人は漢語を外來語として受容するのではなく,漢字をシステムとして血肉化し,日本語の一部に組込んだために,本論では外来語の定義を16世紀以降の漢語以外の言語からきたものに定義したい.
16世紀以後の外来語は,まず1543年のポルトガル人の種子島漂着をきっかけとして,室町(1392~1573)末期から江戸(1603~1867)前期にかけて入ってきたものは,主にポルトガル語,スペイン語,オランダ語などであった.これらのうち,オランダ語は鎖国中の日本貿易を独占していた関係上,比較的に多く今日の日本の言葉に残っている。幕末から明治にかけて,急激に増えたのが英語,ドイツ語,フランス語,イタリア語,ロシア語,ギリシャ語,ラテン語で,特に英語は現在の外来語の中で最も数が多いが,学術用語ではギリシャ語やラテン語,医学.哲学.登山用語はドイツ語,芸術や服飾,料理関係はフランス語,音楽関係はイタリア語というように,外来語の背景にはそれぞれの分野での文化受容の歴史があった.
戦後はアメリカからの米語の流入が激増し,英語.米語を合わせると現在の外来語の90%近くを占めるとされ,量的に他の諸言語に勝っているだけでなく,例えば,ダンプ.カー(dumpcar)やヤング.ミセス(youngMrs)などの和製英語や,胃カメラやベニヤ板,朝シャン族などの混種語が次々に生まれてくる.また,借用語の形で,ソーラー.システム(solarsystem)やティーチング.プロジェクト(teachingprojector)などのように,複合単位で用いられることが多くなり,時にはギブ.アンド.テイク(giveandtake)やオール.オア.ナッシング(all-or-nothing)のような句や形の表現も使われるようになってきた.さらに,ラジカセ(ラジオ.カセット)やパソコン(パーソナル.コンピュータ),セクハラ(セクシャル.ハラスメント)或いはアルファベットによるTVやOLのような省略形も増加しつつあるが,学術用語,特に自然科学や技術関係用語には,英語からの借用語がそのまま使われることが多く,インターフェロン(interferon)やプライム.レート(primerate)などのように,それぞれの分野の専門用語は英語系の外来語を身につけなければならない状況にきているといわれるが,漢語や西洋語などの借用語が数多く日本語の中に流入できた直接的な原因は,従来の和語系統の語彙範囲では,新しく入ってきた事物や新しい諸概念を十分に賄いきれないためで,時代の発展とともに後から現れる語ほど価値が上向くという事実も無視はできないだろう。
四外来語の受容と意識
専門分野の書籍や文章を見ると,ほとんどのセンテンスは,助詞の類やセンテンスの組み立ては日本語で,即ち骨格は依然として日本語そのものであるが,語彙はほとんど外来語であることが目につく.石野博史(1983)によれば,外来語が日本語の語彙の中で占める割合は,およそ10%というが,使用頻度の高い基本語彙に含まれるものはわずかである.ただ近年の専門分野別の占有率では60~80%に達する場合もあり,日本人の生活一般を知るためには欠かせない語彙となりつつある.このように,今の世の中は外来語が氾濫していると指摘する日本人もいれば,日本語の汚染の激しさに眉をひそめたくなるという日本人も少なくないようだ.
こういう外来語をよく調べてみると,発音の面では本来持っていた“r”と“l”の区別が失われ,文法の面では単数と複数の区別は失われている.かつ語彙面でも多くの外来語が本来の意味から変わってきている.例えば,トランプ(tramp)は本来.切り札.の意味だが,日本語ではカルタ(carta)の名になっている.フェミニスト(feminist)は,女権論者のような女性をさして言う言葉だったが,今の日本ではもっぱら女に甘い男,女性崇拝家,言い換えれば,女性を尊重する男性を指す言葉になっている.このようなことからも日本人が外来語の意味を変えて用いていることが反映できよう.
また,外来語使用の意識も使用者の年齢,職業,教育などによって異なり,外国語との違いや社会的容認度などもさまざまだが,それは同時に,異文化社会との接触の跡を裏付けるもので,そこで異文化間交流とその意識のありようを観察することもできる.例えば,近年の外来語の多用が,カタカナ語の氾濫として批判される一方で,そうした傾向を助長するようなコマーシャルやサービス産業も発達してきているように,社会の要請と人々の母語意識との関係を考える問題として注目されてきているという.③しかし,日本語が外国語のために消されそうになった危機は,今の時代よりむしろ上代にあった.かつて,日本人は今の韓国の西部に建国した百済の国から漢字を学び,初めて書籍に接したという.文字というものをはじめてみる日本人の驚きは大きかった.日本人が新しい優れたものを認め取り入れる熱意は昔も今も変わらなかった.漢字は日本語を写すに適当な文字かどうかを考える余裕もなく,日本人はあっさりそれを畏敬し,すぐにそれを学ぶことに全力をあげたが,しかし漢字は中国語を写す文字である.漢字を習うことは中国語を習うことだった.だから最初の頃は,文字で書くものはすべて中国語であったが,話し言葉は日本語で,書く言葉は中国語――それはずいぶん激しい言文二途であった.この期間は長いこと続いたらしい.
対談『日本語の将来』(柴田武.梅掉忠夫.司会——金田一春彦)④によれば,未来の日本は英語国だという意見もある.これはおそらく多少極端な予測であるかも知れないが,このままの勢いで行くと,日本も少なくとも語彙の面では英語国の一つになるのではないか,英語の日本方言ができるのではないか,と主張する人もいる.和製英語に対しては一部の人は顔をしかめるが,しかし日本人はすでに.和製中国語.作りで経験済みなのである.明治以後,膨大な量の,いわゆる.漢語.を作ったが,その中には,中国では通じないような和製中国語がある.それと同じことが起きる可能性がないとは言えない.今の日本人は欧米のすべてを優れたものとして受け入れようとしている。欧米の政治制度から人のイデオロギーまですべてまねをし,言葉の勉強にまで全力をあげ,貪っている。未来の日本については,特に語彙の面では,西欧社会のビジョンを描いて日本語の問題を考える方がよいかもしれない.
五外来語表記の特徴
1.日本語の外来語は原語の発音をそのままカタカナで表記するのが原則だが,現実においては多くの日本人が“r”と“l”の発音を区別しない。同じ言葉でも,日本人の発音が原音とずれるものがよくある.例えば英語の場合,“strike”(1音節の言葉)を日本式に発音すると,su-to-ra-i-ku(5音節)になり,かつこれをカタカナに書き換えたり,ローマ字に書き換えたりすると,ほとんどの外国人が分からない言葉になる.結局,これが日本人独特のものになり,言い換えれば,これが日本人の独特の発音によって改造された日本人ならではの“外来語”である.
本来日本式の拍のない原音を日本式に作りかえるために,原音を知っているものにとっては別の単語として誤解することがよくある.アクセントも,2拍語.3拍語では原則として頭高になるなどの法則性が見られるというが,すっかり日本語になりきったものは平板,なりきっていないものは原語のアクセントやそれに近いアクセントが残るなど,単語の識別そのものに日本語能力全体が関わるため,その習得は容易なことではない.しかも,これらの多くはカタカナ書きにされるため,一層その難しさが増し,分かりにくくなってくる.
2.日本語の中の外来語は原語になかったり,意味が原語とずれるものが多い.例えば,ナイター(夜間試合)や,ガソリン.スタンドなどのような和製英語の場合や,原語と外来語の間に意味のずれが生じているような場合などであるが,後者では,例えば,英語の“stove”は調理用のコンロやレンジを指すことが多いのに対して,日本語のストーブはもっぱら暖房器具を指す言葉になっているという.また,“boy”や“house”のような英語も日本語では,ボーイ(給仕)やハウス(栽培用ビニール.ハウス)のように書き換えられ,意味が限定されて限られた場合にしか使えない.このような単語は,原語を知っている者にとっては混同を起こしやすく,返って分かりにくいものとなるだろう.また,ビールがビア.ガーデンになったり,ボーイは単独で使われるが,ガールはガール.フレンドやチア.ガール(和製語cheergirl/女子の応援団員)のように,複合語の中でしか使われないというような,語形上の問題もある.
3外来語の表記については,日本語では一種類に限らず,複数の表記方法があることも注意しなければならない.例えば,“team”という言葉だが,日本語では「ティーム」と書く人もいるし,「チーム」と書く人もいる.このように,2つの語形が併存することも偶々ある.また,“v”“f”“kw”の表記については,バ.ハ.カ行のほかに,それぞれ「ヴァ.ヴィ.ヴ.ヴェ.ヴォ」,「ファ.フィ.フェ.フォ」,「クァ.クィ.クェ.クォ」などというふうに表記する可能性もある。この外に,“-ia”を「イア.イヤ」,“tu.du.ti.di”を「チュ.ジュ.チ.ジ」か「テュ.デュ.ティ.ディ」などというふうに表記することもある.
つまり,日本人は日本語の中の外来語を元の外国語の形にできるだけ近付けて書くか,日本語化の進んだ形で書くか,ということであるが,これについては昭和29(1945)年3月の第20回国語審議会では,.国語化した書き表し方の慣用が固定化しているものは,これを採る.書き表し方の慣用が固定化せず,2様にわたるものについては,原語の発音としてわれわれが聞き取る音を基準とし,国民一般に行われやすいことを眼目として,なるべく平易な方を採る.という報告があった.
それ以後,例えば,英語形のヴェニス(Venice)がヴェネチアに,そしてベネチア,ベニスになったように,慣用が固定化したものを除いて,原語音が使用されるようになり,現地の呼び方を採って,その語形は日本語として平易な形が採られるようになったという。(文部省『地名の呼び方と書方』.1958.)
4.異語同音の表記がある.例えば,原音では区別があったものでも,日本語の音韻ではそれが区別できないために,異語同音になるケースがある.例えば,ライト.スタンド(rightstand,右翼席)とヘッド.ライト(headlight,車の照明),鰺(あじ)のフライ(fry)と野球のフライ(fly)などがその例である.
5.外来語として日本語に入ってきた言葉が,名詞が動詞として使われたり,形容詞が形容動詞として用いられたりすることがよくある.例えば,.イメージ.や.チャレンジ.や.フィット.や.ファイル.や.ラップ.などは名詞として日本語に入ってきたのだが,現実の日本人の生活の中では,これらの名詞に.する.をつけて動詞としてよく使っている.また.エレガント.はもともと形容詞であったが,日本語では,それにダ.ナ.二などをつけて.あの人はいつもエレガントだ.とか、.エレガントな洋服を着る.とか、.努めてエレガントに装う.のように,形容動詞としても多彩に用いられることがある.
6.同じカタカナ言葉でも,私たち中国人のような外国人にとっては,一番難しいのはやはりそれが日本語であるか外来語であるか,それとも何語であるかの判断である.例えば,前に述べた①日本語そのものをカタカナや英文字に書き換えたもの(例えば,「刺身」→「サシミ」→「sashimi」,「寿司」→「スシ」→「sushi」)は外来語ではないが,②ある会社の名称や商品名をカタカナや英文字に書き換えたものの中には,「ソニー(SONY)」や「シャープ(SHARP)」や「トヨタ(TOYOTA)」等はすでに外来語やカタカナ言葉として辞書などに載っているが,しかし,.リコー.やRGKなどのような会社名はまだ外来語としては載っていない.また③中国語及びその他の外国語を借用語としてそのままカタカナに直したもの(例えば中国語の「辣油」→「ラー油」→「ラーユ」,「棒棒鶏」→「バンバンジー」,「麻婆豆腐」→「マーボー豆腐」→「マーボードーフ」,韓国語の「キムチ」など),④.マイホーム社(不動産屋).,ベニヤ板や胃カメラ,朝シャン族などのような英語と日本語,日本語と英語が混じったようなもの,言い換えれば混種語,⑤「OL」や「カラオケ」,「アニメ」や「パソコン」のような日本人が作った和製英語やカタカナ語,⑥ソーラー.システム(solarsystem)やティーチング.プロジェクト(teachingprojector)などのような借用語はすべて外来語と見なされているが,実は③と⑥が本当の外来語で,①,②,④,⑤は日本人の手によって作られたニセモノの“外来語”である。
六おわりに
以上見てきたように,日本人が新しい優れたものを認め取り入れる熱意は昔も今も変わらなかった.かつて日本人は「真名(漢字)」を学び,それをもとにして「仮名」文字を作り,いわゆる.漢語.を作ったが,その中には中国では通用しないような和製中国語がある.いわば日本人はすでに.和製中国語.作りで経験済みなのである.今日の日本人は欧米のすべてを新しい優れたものとして受け入れようとしている。欧米の政治制度から人々のイデオロギーまですべてまねをし,言葉の勉強にまで全力をあげ,貪っている。未来の日本については,特に語彙の面では,和製英語やカタカナ語,混種語,借用語などがどんどん増え,時代とともに後から現れる語ほど価値が上向くのではないかと思われる。
注释
①「カタカナ語は英語?日本語?」/www.toolbox-webnet.com
②「カタカナ言葉は難しい」/http://d-inf.org/iroiro/katakana.html
③細川英雄.実践「日本事情」入門[M].日本:大修館書店,1994
④金田一春彦編.日本語講座1『日本語の姿』[M].日本:大修館書店,1990
参考文献
[1]董建荣.中国人日本語学習者の母語干渉による誤用分析[D].日本:鸟取大学,2004
[2]荒川惣兵衛.角川外来語辞典[Z].日本:角川書店,1977
[3]石野博史.現代外来語考[M].日本:大修館書店,1983
[4]石綿敏雄.日本語のなかの外国語[M].日本:岩波新書,1985
[5]金田一春彦編.日本語講座1『日本語の姿』[M].日本:大修館書店,1990
[6]大野晉他.日本語を考える[M].日本:讀賣新聞社,1968
[7]細川英雄.実践「日本事情」入門[M].日本:大修館書店,1994